オーディオ・ベースマン見たり聴いたり グレン・グールド・・楽想を練り、歌う(唸る)風景が面白い。

「グールド・プレイズ・R・シュトラウス 」 Sony Music Japan SICC 20125。「蜜蜂と遠雷」恩田 陸。ピアニストの川村尚子(ひさこ)さんは、映画化された小説中、栄伝亜夜の実演シーンを担当。この本、故・中村紘子さんの「チャイコフスキーコンクール ピアニストが聴く現代」と読み比べが面白い。

グレン・グールドのピアノ。極めてオーディオ的な感じがする。「ハッキリ、クッキリ、スッキリ」として高解像度、高SN比。低域から高域まで低歪み。広帯域のピアノの能力を存分に発揮。ピアノの高純度な音の粒立ちが失われない一方で、硬質感のないデリケートな音色、不思議な和らぎ、優しさ、柔らかさに、加え、天までとどく伸びやかな解放感がある。

このCD、聴きどころは、二つ。ソプラノのエリザベート・シュヴァルツコップフに音楽的表現でグールドが、歩み寄らず(解説詳細あり)録音した。が、それでも音楽として成り立っているところ。トラック5、「ピアノと管弦楽のためのブルレスケ 二短調」。実演に向け自宅の音の変なピアノで弾き、オーケストラのパートをグールドが歌いながら(唸りながら?)リハーサルをしているところ。このトラック、演奏家が、楽譜から作品を探求、追求し、洞察を深め、如何なる表現で実演に向かうのかが窺える。

それを踏まえ、コンテスタント(競技者)がしのぎを削る「蜜蜂と遠雷」を読むとよりよく、面白く読めるような気がする。

「蜜蜂と遠雷」。2017年 第12刷。オーディオ的にも面白く読める部分がある。楽器(スピーカー)周囲、物の位置で音が変化するという事。いずれも、主人公の一人、風間 塵が指摘する。一次予選、P154、調律師に舞台上、3台あるピアノの一台の位置を動かさせ、自分が弾くピアノの音を調整する。P157、入場する客が音を吸うことを指摘され、調律師にピアノの位置を別な位置に移動させる。二次予選、P279、立ち見の観客まででた会場だが、調律師にピアノの音を「パッキリ」(おそらく、オーディオ的にはハッキリ、スッキリしたような音だと思う)させず「柔らかめ」にして欲しいと頼む。訝(いぶか)しむ調律師に次に弾く 栄伝 亜夜が「パッキリ」演奏するからと説明する(注)本選前のリハーサル、P454~458、本選に向けて自身が弾く「バルトークのピアノ協奏曲第三番」の第三楽章を演奏するオーケストラのリハーサルを聴き、奏者の演奏位置を変えさせる。その途端、オケの音が「ハッキリ、クッキリ、スッキリ」と変化。バランスが取れ、かつオケの音量が上がる。「楽器などの位置を変えただけで、音が劇的に変化するのか?。これは、小説の世界だろう」とお思いの方がいらっしゃると思う。しかし、実際、オーディオ・ベースマンで同じような体験をしている。事実、楽器(スピーカーなど周辺機器だが)の位置を変えただけで音質が変化、また、音楽的感銘度も向上する。そして、ベースマンに出入りする人物でこれが出来る、それを可能とする「耳の良さ」を持った方がいらっしゃいます。店主もかなりのものですが、その店主も舌をまく凄さです。また、そのような体験をすると「蜜蜂と遠雷」を「ウン、ウン」頷(うなず)きながら楽しく読める。オーディオ・ベースマン、楽しめるショップです。

「蜜蜂と遠雷」。読んでいたら、四十数年前に読んだ少女マンガ、漫画家を思い出した。この小説、少々、「乙女チック」なところがある。「別マ(別冊マーガレット)、「りぼん」、「花とゆめ」などなど。はいからさんが通る(大和和紀)、スケバン刑事(和田慎二)、陸奥A子、小椋冬美、大矢ちき、などなど。70年代から80年代までの少女マンガ面白かったなぁ。ああ、そうだ。土田よしこの「つる姫じゃ~」も思い出してしまった。

(注) 2019年、11月。岩手県民会館中ホール。岩手県民会館 コンサート・サロン2019 川村尚子さんのコンサートが行われた。小説中の人物、「栄伝亜夜」かくもあらんと思われる「パッキリ」とした音質の持ち主でした。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ・第30、31、32を演奏。「30番から32番は、(精神が?)天に昇天する感じの感動があり、アンコールを弾くのはむずかしいのですが…」といいつつアンコールを一曲、演奏。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ、どうしても、ドイツの女流ピアニストのエリー・ナイと比べてしまう。川村さんのピアノの音、線が細い。量感が少々、落ちるので、それが伴えば、最高だったなぁ…。